千葉市の中心街から6kmほど離れたベッドタウン、小倉台。
この閑静な住宅地の一画に、旭ハウジング株式会社の千葉事務所であり、地域のコミュニティスペースでもある「樹心」があります。
「ここ小倉台に地域を繋ぐ場所を作りたい」という、同社の湯川千夏子さん(二級建築士/インテリアデザイナー)の思いから、さまざまな機縁が重なり、2022年の10月に誕生しました。
なぜ湯川さんはこの場所に、コミュニティスペースを作りたいと思ったのか? 現地を訪ね、お話を伺ってきました。
(2025年8月25日 取材)
— ここは旭ハウジングさんの千葉事務所であり、「樹心」という名前のコミュニティスペースでもあるわけですね?
はい、会社のショールーム兼コミュニティルームです。
私の計画では、会社の事務所として使いながら、ここを地域貢献のできる場所にしたいと思ったんですね。

ワークショップを開いたりして、地域の人たちにこの場所を活用してもらう。そういう活動がだんだん地域の輪になり、最終的にはこの地域に恩返しができたらなと。
— 恩返しができたらというのは、旭ハウジングさんがこの地域に、もともと何か縁をお持ちだったということですか?
私がもともと小倉台の人間なんです。ここで育った人間なんです。
それで、この(小倉台の)団地ができて、もう50年近くになるんですね。
住んでいる方のご年齢も70代が平均。
で、私がなぜここでコミュニティスペースをやりたいと思ったかっていうと、その70代の方たちが、いろんな理由でお家を手放す時期に来てるんですね。

— 亡くなられたり、老人ホームに移ったりということですね?
そうです。で、お子さんたちの多くは東京の都心に住宅を構えているので、
この場所を相続されても、皆さん切り売りしてしまうんですね。基本的に自分たちは住まない。
でもこの小倉台という地域は、所得の良い方が多く住まわれてきたので、いいお家が多いんです。
敷地が70から80坪で、それに見合うお家が建ってた団地なんですね。
私としては、団地のこの雰囲気を残したいんです。
切り売りして小さなおうちをたくさん建てて売ってしまうのは、ちょっともったいないなって。

— 親さんも亡くなられたり老人ホームに入ったりで、お子さん世代が実家の土地を売り、それを不動産屋さんがビジネスで切り売りしちゃっているわけですね?
それもコンセプトをもって何かちょっとした街並みにする、っていうんだったらいいんですけど。
いろんな別々の不動産屋さんが手をつけて、「まあ、建てて売れればいいや」という感じで。

家にとって大事なことは、長くそこに住むことだと思うんです。
子どもたちをそこで成長させて、次は自分たちの楽しみのためにそこで過ごす。
人は本来、そうやって長い期間その家とともに過ごすことを考えると、
ゆったりとした空間、それは別に大きさの話じゃなくて、
例えばお孫さんたちが帰ってきた時に「なんか、ここいいよね」って感じられるような、
そんな空間を次の世代にも残しておきたいなって思ったんですね。

— そのために、そういう空間の事例となるようなショールームを作られたということですね?
この小倉台に住む地域の人たちが、子どもたちが巣立ったあと、自分たちだけで過ごす空間としてどう作っていきたいか、そういうことのお手伝いができたらなと。
地域の一画にあるこのお家を私たちがショールームにしてお見せすることで、これからの暮らしについてイメージを持ってもらえたらなと思って。
例えばここでみなさんにちょっと食事をしてもらったり、おしゃべりをしてもらったりしながら、だんだん日が陰って夜になっていく様子も味わってもらいたいですし、
冬場は薪ストーブの炎を見ながらのゆったりとした感じも味わってもらいたいんです。

— そんな暮らしの空間を提案するショールームとしての機能を持ちながら、コミュニティスペースとしても使っていただこうと。
そうなんです。ワークショップを開いたりして、地域の人たちがコミュニケーションする場所としても使ってもらえたらなと。
私がどうしてこういうことをやりたいと思ったのかというと、その発端は、両親を看取った時に思ったことなんです。
母が先に逝き、父はその後10年一人で暮らしたんですね。
家は私の近所で、ご飯食べに来てもらったり、ご飯を持って行ったり、そういう距離だったんですけど。
やっぱりね、一日中、誰とも話さないでテレビの前で三食のご飯を一人で食べる、そういう暮らしはもったいないなと思ったんですよ。
ただ、親子でもやはり遠慮があるんですね。
父は友達が多かったから、家にいろんな方を招いてたんですけど、それでも一人減り、また一人減り。
それを聞いたとき、私が父と約束したのは「みんなが、ちょっと来たよ、寄ったよっていう場所を作りたい。ちょっとお邪魔するよ、お菓子買ってきたから、ここでちょっと食べて喋って帰るね、っていう」。
そういう、一日一回でも誰かと話して食事をしたり話したりっていう場所は、絶対必要だと思うんです。
それをここに作りたい。そう思ったのが始まりなんです。

— ちなみに、ここは旭ハウジングさんがもともと所有されていた物件なのですか?
違うんです。
これまた不思議な話なんですけど、自分でこういうことをやりたいと思ったので、会社(旭ハウジング)には辞表を書いたんです。
— 会社を辞め、自分がやりたいことを自分でやろう、と。
そうしたら社長に「そういうことなら、コラボできると思う」って言われて。
そんな矢先に、夜中の2時半ぐらいにパッと目が覚めて、ふとネットを開いたら小倉台のここの物件の賃貸が出てたんです。
「あっ、この値段なら借りれるな」って思って。
早く予約して借りようと、急いで会社に連絡したんです。
そしたら「借りたものにそんなにお金をかけてリフォームしても、もったいないよ。買っちゃいましょう」って言うんです。

— それが何年前の話ですか?
3、4年前です。
— 自分がやりたいことと会社からの提案、そして最適な物件が、巡り合わせのように噛み合ったということですね?
そうなんですよ。
当然会社のお金を使ってやるわけですから、責任重大なわけですよ。
予算もありますしね。
それで出来上がって3年ほど経ったんですけど、
原点にある地域貢献にはまだ至ってないので、もっとこの場所を地域で活用していこうと、今少しずつ踏み出しているところなんです。

— ちなみに湯川さんは生まれも小倉台なんですか?
いえ、生まれは東京です。
市ヶ谷だったんですけど、両親がお店を開くために千葉に引っ越してきて、しばらくしてここに家を買ったんです。だからここで育ってるわけです。

— つまり湯川さんとしては、子ども時代に、この団地のゆったりとした風情とか、膨らみのある住宅空間っていうのを浴びて育ってきたから、そうした文化的な空間みたいなものを引き継いでいきたい気持ちが大きくなったと。
はい。
— リフォームの内装施工を山翠舎に依頼したのは、どんな理由があったのですか?
ホームページを見たときのインスピレーションがすごく大きかったんです。
当然、地元の千葉でも“古民家”で探してたんですけど。
— 古民家の改装をできる業者を?
材料を売りますとか、そういったものも含めて探してたんです。
そのなかで山翠舎さんの事例を見たときに、自分のイメージするものとすごく近くて、これなら、と。
古木なら千葉にもあると思うんです。
ただ、私の持つイメージの全体を汲み取ってまとめあげてくださる、そういう会社さんはどこなのかって考えたら、山翠舎さんだと思ったんです。
— こうして空間が出来上がったわけですが、特に気に入っているポイントはありますか?
まず玄関のオブジェです。

私が「こういうのを作りたい」ってお話ししたら、「あ、できますよ」ってすぐに快諾をいただいたんです。
私、リフォームの仕事をずっとやってきましたけど、
「はい、やります」ってすぐに答えることって、難しいんですよ。
どうやって作るのかとか、予算はどうするのかとか、そういう問題があるので。
それが「あ、大丈夫です。できます」って、ポンポンと。そこがまず面白いと思ったんですね。
それであれが出来上がったんですから、本当に感謝ですよね。
— 誰がデザインされたんですか?
デザインは私ですね。
— こういうのを作ってほしいと、湯川さんが自身がデザインを持ち込まれたわけですか?
でも私はただデザインするだけ。デザインっていうのはいくらでもできるわけですよ。
ただそれをこういうふうに入れ込んでカタチにするっていうのは、木は生き物なので、並大抵のことじゃないと思うんです。それもイメージ通りのものが出来上がってきたんです。

「樹心」は「樹の心」ということですけど、
本当に木の幹の中心から広がる、
なんていうか、年輪のことをイメージしながらこの言葉を私はつけたので、もうバッチリだったんですね。
あれが一つの木からできているものじゃなくて、いろんな木の部分があって、ちょっと寄ってたりとか、そういうところが人らしくて、すごくいいなって。
あと障子紙もね、高価なものをご提案していただいたんですけど、
それがもう一発で気に入って。
朝日の時に来ていただくと、本当にいいんです。
これ(ふすま紙)、ウィリアム・モリスの「いちご泥棒」の模様になってるんですけど、
朝日が入ると模様が浮き上がってくるんですよ。反射するんですよね。それがすごく綺麗なんです。

— なるほど。湯川さん自身がインテリアコーディネーターだから、山翠舎とこういうコラボレーションができるんですね。
そうですね。ありがたいです。
— リフォームが完了して開所したのが2022年の10月。
そこから3年経とうとしているわけですけど、どういった状況ですか?
どちらかというと社内的なコミュニケーションの場として使ってきましたが、これからどんどん地域に開放していくのを進めていきたいなあと思ってるんです。
例えば、これから時代の流れで職人さんがいなくなるともいわれるんですけど、
地域の職人さんたちをここでまとめて、一つの共同体を作りたいなって、そういうことも思ってるんです。
それでこの場所が手狭になってきたら、第2弾も考えているんです。

— その第2弾っていうのは、小倉台とは別の場所で?
それはやっぱり、ご縁だと思うんです。
例えばビルのワンフロアでそういうのにやってくれないかって頼まれれば、当然そこでやりますし。
私、もともとは百貨店の建装具に始まって、大手の空間もいろいろ建装してきたので、自分がこれまで仕事してきたノウハウが使える場所があれば、ホテルでも何でもやりますよ。
— 今日はありがとうございました。