総武線亀戸駅から徒歩10分、蔵前橋通りは亀戸天神社にほど近い場所に「麺ふじさき」はあります。鶏と水で仕立てたスープに、醤油の華やかでフローラルな香りを生かしたラーメンが食べられるお店です。

このお店を立ち上げたのが、藤﨑みづきさん。16歳でラーメンの味に感動し、以来自身のラーメン屋さんを立ち上げるため、自らの人生を設計してきました。

それから11年。27歳にして独立、「麺ふじさき」をオープンさせました。

独立に至るまでの流れ、ラーメン屋として何を目指していくのか、プレオープン日となった2022年9月14日、お店を訪ね、藤﨑さんにお話を伺ってきました。

(2022年9月14日 取材)


 

— 藤﨑さんはどんなきっかけでラーメンの道に入られたんですか?

 

茨城から東京へ出てくる時に、東京のラーメンを食べて感動して、本当に鳥肌が立つくらい感動して。

 

— それって、いつ頃の話ですか?

 

高校1年生なので、16歳のころです。

その感動体験がずっと残ってて、それからラーメンを食べ歩くようになったんです。

当時、高校が大学の附属高校だったので、高校3年生になると進学する自分の学部が選べたんです。その時に、自分は将来何をしたいのかって改めて考えた結果、ラーメン屋になりたいなと思って。じゃあそうなるためにはどうすればいいんだろうっていうのを考えて、そこからラーメン屋なるために行動し始めた、それが始まりですかね。

 

— 最初にまずどんな行動をされたんですか?

 

とりあえずまだ高校生で当時は寮に住んでたので、寮母さんのもと、寸胴を買って寮でスープを炊き始めました。

でも最初のころは、もみじのこともわからなかったんです。

寮母さんに「もみじを入れるといいよ」って言われて、「えっ、もみじって出汁が出るんですか?」「出るよ!」っみたいな。「だって葉っぱじゃないですか!?」「違うよ、鶏出汁だよ」みたいなところから始まって(笑)。

 

高校3年になって自分が進む学部を決めるときも、「経営者にならなきゃいけないから、経営学部に行こう」っていうことで、政治経済学部の経営学科を選択して、なんとか試験に通ったんです。

 

大学時代は、週一ぐらいで本厚木にある「麺や食堂」っていう店でアルバイトさせていただきました。

私、大学生の時に結婚したんですけど、大学を卒業したあと、一回新卒で会社に入社するんです。個人的にも一回社会を見ておきたかったというのもあって。

 

— 何の会社に入社されたんですか?

 

商社です。鍋林っていう会社なんですけど、そこで化成品事業部に入って、化学薬品だったり、工場で使うような製品を販売してたんです。

要はそこで商いをするので、物を仕入れて物を売るっていう、その流れを掴めたんです。その経験は今振り返ると結果的にすごくよかったですね。

それから子どもが産まれて、しばらくして安定したところで、「じゃあもうラーメン屋さんを目指そう」ってなったんです。

 

— お子さんが生まれたのが何歳の時ですか?

 

22歳のときです。

会社には2年間勤めて、子どもも成長して少し落ち着いてきたので、ラーメン屋さんへの本格的な修行に入ろうってなったんです。

 

それで嫁さんの実家がある船橋に来て。鶏パイタンで有名な「まるは」っていうお店があるんですけど、その「まるは極」っていうお店、そこは鶏パイタンをメインに、醤油ラーメン、塩ラーメン、あと二郎系も作るんです。

ラーメン屋さんなんですけど、ちょっとファミレスチック、家族連れでも来やすい大型の店舗。

そこに勤め始めて、濃厚なスープからあっさりしたスープまでやっているお店なので、スープの炊き方もいろいろ全体的に学ばせていただいたんです。

 

— 扱う領野が広いから、そのお店を最初の修行先に選んだわけですか?

 

そうです。

濃厚なものからあっさりしたもの、系列店舗だと海老そばの専門店もやってますし、いろんなラーメンが学べるなと思って入りました。

その「まるは極」で働いた後に、海老そば専門店(「海老そば まるは」)で働いて、そのあと秋葉原にも店舗を出したので、そちらでも働かせていただいて。秋葉原では当時真鯛をメインでやってて、そこで鯛のスープの作り方を学ばせてもらったんです。

 

そうやっていろいろ学びながら、じゃあ「自分のやりたいラーメンってなんだろうな」って考えた時に、私が大学生の時に流行った、鶏と水だけでとったスープに生醤油を合わせたラーメン、それがずっと頭の中に残ってたんです。

「やるんだったら、鶏水系の生醤油を使ったラーメンをやりたいな」と思って、「そろそろ、そういうラーメンをメインでやってるお店で学ばせてもらった方がいいかな」と思って面接を受けていたときに、当時マルハのマネージャーをやってた方から「とものもと」なら紹介できるよ、っていうお話をいただいて。

それで「とものもと」で働き始めたんです。

 

— それが最後の仕上げの修行先になったんですね?

 

そうです。しかも「とものもと」さん、移転をタイミングに自家製麺も始められていたので、まずは製麺を学ぶところから始まって、それからスープを教わって、タレも教わって、っていうので、自分の学びたいことが結果的に全部学べました。

 

— そして、いよいよ独立して「麺ふじさき」の立ち上げに向かうわけですが、物件探しは大変でしたか?

 

大変でした。

船橋に住んでいるので、最初は船橋にお店を持ちたくて、船橋で物件を見てたんです。でも人気でなかなかこれという物件が空かなくて、空いてもむちゃくちゃ高い物件だったりで。

 

それで、総武線沿線に広げて探し始めたんです。

スーツを着て簡易的な名刺を自分で作って、不動産屋さんを飛び込み訪問で、「ラーメン屋さんをやりたいんです」「こういうふうなラーメンで」みたいな説明をして回って。一人で何軒も回って、「ないですか?」「ないですか?」って。

 

でもどこもけっこう厳しくて。

「ないよ」、「あったとしても仲のいい人にしか貸さないから」みたいな。

 

— 厳しいなあ。塩対応なんですね…。

 

けっこう塩対応でしたね。

塩対応じゃないところで、お茶出してくれるところもあったんですけど、世間話ばかりで具体的な話を一切してくれないんですよね(笑)。

結局ダメでしたけど、しつこく船橋の不動産屋さんには通ってましたね。

 

— 最終的にはどういうふうにこの物件が見つかったんですか?

 

内装を山翠舎さんにお願いしていたので、「スケルトンで綺麗に作りたい」ともお伝えして、スケルトンの物件を探していたんです。

この物件は実はネットにずっと載ってたんですよ。でもちょっと高いなと思って、スルーしてたんです。

その間にも、山翠舎さんのシステムを使って他の物件を探してたんです。そしたら亀戸で一件、良さそうな物件が空いたんです。それで(山翠舎の)岡田さんに「見てもらいたいんです」って言って一緒に見に行ったんです。

だけど、「ちょっとここは…」って岡田さんが言うんです。

 

— ちょっとここは…っていうのは?

 

厨房機器が中古で付いてるんですけど、それがヒドかったり、厨房の形がいびつだったり。自分も実際に見てこれはキツイなと思ったんですけど、結局「ここでやるのはあまりお勧めしないですよ」っていう話になって。

それで同じ亀戸で「ちょっと気になってる物件があるので、一緒に見に行ってくれないですか」って言って、ここもついでに見にきたんです。

そしたら「すごい良さそう」ってなったんです。

 

ちょっと横に狭いんですけど、天井が高くて、空間的に圧迫感がない。

いいなあと思って。家賃はちょっと高いんですけど、ここを逃したらもう出会えないんじゃないかなと思ったのと、亀戸の落ち着いた下町感がいいなと思ったのとで、もう、ここにしよう!と。

 

 

— そしてようやくオープンした「麺ふじさき」ですが、どんな特徴を持ったラーメン屋さんですか?

 

まず、私がラーメンを好きになったきっかけが、美味しいラーメンを食べて感動したからで、そのことが私自身がラーメン屋を目指した大きな理由でもあるんです。なので、あのときの感動を他の人にも伝えられるようなお店を目指してます。

 

ラーメンも器も内装も、全部、味だと思うんです。そのためには、食材もできるだけいいものを使い、内装もこだわり、できるかぎりいい状態のものを提供する。そして来ていただいた方が感動し、幸せな気持ちになって帰っていただける。そういうお店を作ろうという思いで始めました。

 

ラーメンは、スープが鶏と水で、それに生醤油をメインに合わせた醤油ダレです。

 

— それ以外の食材は入れないのですか?

 

タレには味醂や三盆糖が入っているんですけど、いいものをできるだけシンプルに使い、調理法もできるだけシンプルにしてます。素材を生かしたラーメンを作りたいんです。

 

私自身まだ素材の扱いについて未熟な身ではあるんですけど、いい素材は、丁寧に扱い、丁寧に調理すれば、素材の良さがおのずと出てくるんです。余計なものを入れなくても、しっかり美味しくなります。ぜひ素材の美味しさを感じてほしいです。

 

— これからの夢はありますか?

 

野望はいっぱいあるんですけど(笑)。

まず、「ラーメンをよりよくしていきたい」という思いがあります。

実際、それを私自身ができるかどうかはわからないんですけど、ラーメン屋さんをやっていく上で、できるだけラーメンというものをよりよくして、もっと多くの人に知ってもらいたい。

 

そこに共感してくれる人がいれば、たぶん僕が引退した後でも、新たにラーメン屋になった人が繋いでいってくれると思うんです。「ラーメンをよりよくしていこう」という思いが、受け継がれていくと思うんです。そのために頑張っていきたいっていう思いがあります。

 

あと、自分が作るラーメンは自分の鑑というか、化身だと思っているので、ラーメンも自分自身も磨いていきたい。どこまで行けるかわからないですけど、行けるところまで磨いていきたいっていう思いがあります。

 

— 今日はありがとうございました。