東京 台東区にある、「日本で2番目に古い商店街」佐竹商店街。この商店街の中ほどに「ピザ屋 想兵衛」があります。その店名からもわかるように、店主黒田裕久さんが作るのは、日本ならではのピザ、とりわけ下町のカルチャーと溶け合うようなピザ屋さん。2014年にそれまでのフランチャイズ店から独立し、オープンさせたお店です。

そして今回、大正15年築の店舗兼自宅を解体し、大規模なリニューアルオープン(2025年2月27日)を遂げました。お店を訪ね、リニューアルへと至る経緯、そして商店街への想いなど、黒田さんにお話を伺ってきました。

(2025年6月4日 取材)

 


 

この場所で、義理の父が街の電気屋をやってたんです。ところが義父が脳梗塞で仕事ができなくなったので、お店をたたんだんです。たたんで、しばらく駐車場として使っていたんですけれども、せっかくアーケードのある商店街で、商売ができる環境にあるのに、駐車場にしておくのはもったいないなって。「じゃあお店でもやりましょうか」っていう、そのタイミングでいろいろあって私が仕事を辞めることになり、結果的に脱サラという形になったんです。

 

 

そうです。

それで、いろいろあってピザ屋をやることになったんです。それが11年前(2014年)です。

 

 

最初は喫茶店をやろうと思ってたんですよ。

私、愛知県出身なんですけど、愛知や岐阜のあたりって、喫茶店が当たり前にあるんですね。朝はモーニングがあって、ランチもあって、ディナーではお酒も飲める。地元では何かあると「じゃあ喫茶店で」っていう感じで、喫茶店に行くのが当たり前なんです。

 

そういう地元で育ったから、「将来、自分がどこで何をして死にたいか」って、高校生のころに妄想したことがあるんですけど、日本アルプスの麓にあるログハウスで、うまいコーヒーを出しているおじいさんになりたいなと。で、最期はロッキングチェアに揺られ、タバコをふかし、本を読みながら、「ああ、今日も暇だなぁ」とか言って、死んでいく。そういうのがいいなあと、なんとなく思ってたんです。

 

で、仕事を辞めて「じゃあ、どうしようか」ってなった時に、そういえば昔、喫茶店をやりたいと思っていたな、と。それをやるチャンスが今かなと思いまして。

 

カレーをメインにした喫茶店をやろうと思ったんです。それで毎日、神田に通ってカレーを食べ歩いていたときに、たまたまテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」で、「5坪でできるピザ屋に行列」っていう特集を見まして。

 

それを見たときに、もともと予算がほぼない状態で始めようとしていたので、「テイクアウト専門の5坪のビザ屋」っていうのは、現実的な始め方だなと思ったんです。そこまで資本がなくてもできる、これはちょっと面白いかもしれないと思って、アクションを起こして、「じゃあ、話しましょう」ってなったんです。

 

 

そうです。

 

 

そうです。それでお話しさせていただいて、最初は「5坪ぐらいの小さなところでも、テイクアウト専門であればできますよ」っていうことだったんですけど、義父が残した電気屋のスペースだけで10坪ちょっとあったんですね。じゃあイートインもできますね、と。

 

それで、最初思っていたカレーの喫茶店が、いつのまにかテイクアウトもイートインもできるピザ屋になってスタートしたんです。

 

そうです。3年、フランチャイズでピザ屋の経験を積んで、そのあと「ピザ屋 想兵衛」という名前で独立したんです。

 

それから6年半ほどして、もとはここ、大正15年に造られた木造の日本家屋だったんですけれど、それを取り壊しをしてマンションにして、この1階に、電気屋だったスペースに呉服屋と住居スペースも合わさって、この広いスペースができたんです。

 

 

「ガイアの夜明け」で、山翠舎さんが古民家の木を活用して、二子玉川でピザ屋を作るっていうのを見まして。これは面白いなと。

例えばこの梁もそうなんですけど、こういうのは残したいなっていう考えが私の中でもあったので。

 

そうです。襖もそうですし、建具関係も今回の新しい内装デザインに取り入れてもらったんです。

 

大正15年の木造家屋は解体してしまったわけですけど、息子に相続することを考えると、マンションにして家賃収入を得られる形をとった方がいいだろうなと思って、そうしたんですね。ただ、解体してそのまま全部捨ててしまうのは、もったいないなと。そのタイミングで、山翠舎さんが古民家や古木をうまく使って、今の建築に取り込んでいくのを「ガイアの夜明け」で見て、お願いをしたいなって思ったんです。

 

想という字は、相手の「相」と「心」ですよね。「相手の心を想う」って読めるじゃないですか。常に自分ではなく、相手を思いやるような人になって欲しくて、息子の名前にもこの字を使ってるんです。あと私の名前が黒田で、学生の時からクロベエ、クロベエと呼ばれていたんです。この二つを両立させて、想兵衛にしたんです。

 

あと、「ピッツェリア」ではなく「ピザ屋」にしているのは、私自身、イタリアに行って修行したわけでもなければ、有名なピッツェリアで学んだわけでもない。ただ日本のピザは、本格的なナポリピッツァからアメリカのピザ、宅配ピザと、いろんなものが融合してできていて、私のピザはそういう日本のピザとして始まっているので、掲げるなら「ピザ屋」だなと。

 

最初(フランチャイズのころ)は、冷凍のピザボールを伸ばして生地を作っていたわけですけど、やっぱりもっと美味しいものは作れないかと、だんだん没頭するようになっていったんです。小麦粉を自分で配合して作るようになって、窯もフランチャイズの時に購入した電気窯でずっとやってきたんですけど、今回、薪窯を作りまして。

 

 

完全フルオーダーになりますね。どんな石を使うのか? どんな大きさにするのか? というようなところから窯を作り上げていきましたね。

 

うちは小麦粉はすべて国産で、ほかに米粉や甘酒も入れてるんです。酵母は「あこ酵母」っていう八王子の天然酵母を使ってます。まあ、いってみれば邪道だと思うんですけど、うちが作りたいのは、いろんなピザ文化が混じり合った日本のピザ。日本の、特に下町らしい、子どもからお年寄りまで気軽に入れ、気軽に食べられるようなピザを作るっていうのでやってます。

 

ピザ以外にも薪窯で焼ける料理として、グラタンであったりとかドリアであったり、そういうのも提供しています。

 

 

やっぱり一番はこの梁や柱ですね。あとカウンターの下の腰板が、もとは畳の下に敷いてあった杉板で。

 

 

床材だったものをきれいに磨いて、活用していただいたんです。

 

こうやって有効活用していただいたことで、和洋折衷の雰囲気が出てるのが気に入ってます。新しいんだけど懐かしい、温故知新の考えをうまく形にしていただけたなっていうのは、すごく感じます。

 

昔は「肩をぶつけずに歩くことは難しい」と言われるぐらい人通りのある商店街だったんですけど、今はシャッター商店街になりつつある。うちも結局マンションに建て直してるので、なんとも言えないところがあるんですけれども、古いものが壊され、新しく建て直されていくなかで、1階にあった商店も少しずつ消えていってるんですね。

 

それでもまだこの佐竹商店街には、ここで商売をやろうっていう人たちが、ごくわずかですけれども残っているんです。そういう動きが止まらないよう、うまく回っていけるように、そのためにも店を続けたいということですね。

 

今のところ具体的にはないんですけど、間違いなく言えるのは、うちが行列のできる、人を集められる店になれば、必然的にこの商店街に人が集まってきます。そういう店が一軒でもあれば、その次の店が生まれる可能性を増えます。なので、まずはうちがしっかり商売を軌道に乗せて、コンスタントにお客さんを呼べる店になる、それが一番大事かなと思っています。